色んな人に卓球を教えてみて、毎度のこと課題に上がるのは

「やれといってできない人にどう教えるのか」

さっさと粒高なり表なりに逃がした方がいいのでは、、、と思いたくなる程にできない人も中にいる
しかし、そういう人ほどできるようになる過程に何か自分が上達するヒントがあると考える私は相も変わらず観察を続けているのだが…

しかしてできない人に共通する点はいくつかある

このブログでもたびたび取り上げているが、まず一番にあげられるのは
待つことができない人
である。
理想的な打球点を体の近くに設定できない人は押し癖がつき、時間をかければ安定して入れるようになることはできる。
だがそれはあくまで入れるようになることができる、だけであり、強い卓球、ゲーム性が生まれるような次元にはなかなか到達しづらい。
私個人としては別にゴリゴリに試合で勝たなくてもいいと思ってたり、血の気が無い感じの人であればまぁそれもそれで楽しめるからいいかと考えるため、無理に強制しようとは思わないが、やはり卓球の楽しさを知る為には競技志向の技術にアップデートしてあげたい
それ故にチャチャを入れるわけだが、そこで待つことができた人は気付いたら競技志向の卓球に面白みを見出している。
できることが増えると楽しくなるし、モチベーションも上がる。
その一助を買う代表的なスキルは「待つこと」である。


二つ目は
二つの意味での再現性の乏しい人
である。
同じ動きを繰り返し行うことができるスキル、動きをそのままコピーするスキル
要はダンス、演武としての卓球をすることができない人はなかなか上達しな
い。
ある種待つskillと同じ意味合いもある。
「こう振ってね」
と見せて、同じように振ることができる人は勝手に上手くなる。
上手い人の振りを真似ることができれば、その振りで当てる時のコツなり待ち方なり勝手に気付く。
そういう人には振りを軽く教えたり、どういう運動をどういう関節を使って行うべきか言うだけでそれ以上のアドバイスは必要なくなる。
卓球経験者で、それも県大会に何度も出てましたみたいな、ある程度自分で練習を組んで、どうすれば勝てるかわかってる人であってもこうした再現性が乏しい人は大いにいる。
初心者から見れば上手い人、それこそ学部系の大会でも勝ち上がる選手で凄いと思える人であっても、明らかに運動センスが無い人は相当にいる。
それでもぼちぼち勝てるのが卓球の面白いところで、センスの無い人は大方ありえない指導を受けていて、それが深層心理に根付いてしまっているため、そこを理解し忘れさせるような指導手順やより強力な理論をしみ込ませることができないと更なる上達は見込めないところではある。

当たり前の話ではあるが、上手くなる人は運動センスがある。
運動センスとは思い通り体を動かすことができるスキルであり、思い通り体を動かすことができる人は「体が柔らかい」
体がカッチンコッチンなら、言われてもできるわけがないし、運動制限が強く理想ムーブからは最初から遠ざかる。

初心者を8人まとめて教えていて思うのは、言われた運動が最初からできる人とできない人の差は顕著だということ。
回内運動・回外運動を説明し、平岡式のツッツキを教えていきなりできる人が2人、ちょっとできる人が2人、できない人が4人であった。
一方で3年以上経験者複数人に教えたところ、できる・ちょっとできる人は体感3割程度。
初心者の段階で卓球に対する知識を皆無の状態から、理論上最強のツッツキを習得しようとしてそのまま吸収できる人・少しできる人が50%だが、 経験者であれば若干落ちる。
経験者が出来ないのは、「押し癖」等様々な癖がつき、固定概念に縛られてしまい再現できない条件が増えてしまっているだろうからある程度納得がいく。
しかし、何も知らない段階でツッツキ指導を手取り足取り教えても、運動再現性の有無により最初から差がついてしまう
 
流石にできない人全員に手取り足取り教えて、それでもできない場合研究して、さらに教えて…となれば私の時間も私自身も足りない。

それ故に、私が教えなくても間違ったツッツキであればだれでも教えられるし、まぁ気が向いたらまた教えればいいか、と妥協し始めているわけだが。


今回は運動としての側面からの考察。
次回は意識としての側面から(5/1更新予定)